「はぁ、初体験がアレだったなんて、今じゃ考えられないよな」
初めての夜を思い出すと顔が火照る。
今では有り得ないほどの痛みだった。
あの体験から手塚は、前戯にかなりの時間を費やすようになった。
あらゆるテクニックを行使し、リョーマがトロトロに蕩けるまで、じっくりと行うのだ。
この身体の中で、あの手や指や唇や舌が触れていない箇所なんてどこにも無い。
自分の身体なのに、手塚のものでもある。
もちろん、あの人は俺のものだ。
付き合う前は、『人を物扱いする奴は、男でも女でもゴメンだ』と、子供ながらに嫌悪していたが、あの人のものになれるのなら望んで差し出そう。
身体でも心でも、何もかもを…。
「大好きだよ…」
相手には決して届かない言葉は、自分に言い聞かせる為のもの。
逢えない日もたまにはいいかもしれない。
こうして自分の想いを確認するにはいい。
今はまだ『好き』としか言えないけど、いつか…。
「…愛…してる、か」
自分から言った事は一度も無い。
言わなくてはいけない日が必ず来るだろう。
「その時が来たら…
もう離れられなくなる。
絶対に離れたくない。
「俺は、国光とずっと一緒に…」
もう離さない。
絶対に離したりしない
「…ずっと一緒にいるんだ…」
これは、自分に対する誓い。
神様だろうが、何だろうが、関係ない。
恋愛なんて陳腐な言葉で片付けられない。
これは最早、2人に定められた運命なのだから。
間もなく戻って来た両親は、珍しく家の中で大人しくしている息子が、かなり上機嫌でいるのを不思議そうな眼差しで見ていた。
「何かあったのか?」
ニヤニヤと口元にいやらしい笑みを浮かべながら、南次郎はリョーマに近寄った。
今日は手塚と一緒じゃないから、きっと不貞腐れていると思い込んでいただけに、この上機嫌っぷりにはかなり気になってしまっていた。
「別に…それより俺、腹減ったんだけど」
下手な事を言って突っ込まれるのはイヤだから、この場合は軽くあしらうのが懸命だと、リョーマは全く相手にしない。
「へいへい。おーい、リョーマが腹減ったんだとよ」
ツレない息子は、最近輪にかけて自分に構ってくれなくなった。
元から愛情たっぷりに育ててはいないので、そんな行動は望んではいないが、それでもやっぱり寂しいと感じるのは父親としての本音だった。
早めに夕食を済ますと、部屋に戻る。
退屈しのぎのテレビゲームも、今日は始めようと思わない。
ベッドに寝転がり天井を見上げる。
その時、不意に高音の機会音が部屋中に響いた。
聞き覚えの無い音に、キョロキョロと見渡す。
「…っと、携帯?」
机の上に置いてある携帯電話。
自分はまだ携帯を持っていない。
両親は「お前はまだ中学生なんだから必要ない」の一点張りで、全く取り合ってくれないのだ。
だからこれは、出掛けている恋人の物なのだ。
『預かっておいてくれ』
父親も携帯を持っている為、もしもの時は大丈夫だからと、行く前日に手塚から渡された。
慌てて起き上がり、携帯のディスプレイを確かめれば、そこには『自宅』との文字。
「もしもし…?」
『リョーマ?』
携帯から聞こえてきたのは、大好きな恋人の声。
丸一日以上、聞いていない声は、不思議なほど凄く新鮮だった。
「国光、どうしたの?」
嬉しくて声が上ずってしまいそうになるのを、何とか堪えて普段の声を出す。
『今、戻った』
「そうなんだ。お帰り」
戻ったと言う事は自宅にいると事。
近くにいると思うだけで心が暖かくなる。
『…これから会えないか?』
「今から?」
『そうだ、今からだ』
「…うん、いいよ」
『では、後でな』
簡単に話を切り上げると電源を切る。
手塚とリョーマの家は、急いでも20分掛かる。
部屋から出て、洗面台の鏡に向かい手櫛で簡単に髪を整えると、ついでに歯まで磨いてしまった。
不図、無意識の行動に気付き手を止める。
「何やってんだ、俺…」
呆けた顔で呟くと、鏡の中の自分に向かい小さく笑ってしまった。
家の中で待っていても何だかソワソワしてしまうので、外に出て待とうと部屋から上着を取ってくる。
夕方になると空気が冷たくなってくるので、風邪をひかない為と、きっと必要以上に心配する恋人の為に。
家の門に凭れながら、現れるのを待ち侘びる。
時々、通り掛る人が不振な眼差しをチラチラと自分に向けてくるが、そんなものは完全に無視する。
「リョーマ?」
大好きなテノールで自分の名前を呼んでくれる。
この声で名前を呼ばれるだけで身体が震える。
「国光」
手塚がリョーマの姿を確認すると、少し小走りになって近付いて来る。
「何だ、家の中で待っていなかったのか?」
「少しでも早く会いたかったから」
「そうか…リョーマ」
「ん?」
「ただいま」
電話では言わなかったのは、こうして直接会って言いたかったから。
「お帰りなさい」
ふわりと綺麗な表情で微笑まれ、手塚の心に温かい何かが流れ込んでくる。
抱き締めたい衝動に駆られるが、ここで抱き合うのは人目があってどうしても出来ない。
部活中とは違って、公道で人目も憚らずにイチャイチャするのはよろしくない。
道徳心とか世間体とか、いわゆる一般的な常識をまだ手塚は捨ててはいない。
「少しいいか?」
「うん。あっ、その前に…はい、携帯」
「持ってきてくれたのか、ありがとう」
リョーマから渡された携帯をポケットにしまった手塚は、そっと手を差し出す。
当たり前のように重ねられるリョーマの手。
抱き合う事はしなくても、こっそり手を繋いで歩く。
やっぱり、こんな時でもバカップルなのだ。
2人がやってきた近くの公園は、ブランコや滑り台などの遊具類が一切無い、何とも物寂しい感じのする場所だ。
だが、散歩やペットと戯れるのには最適の場所であるので、昼間や休日はかなり人が多い。
今は夕方である為、それほど人の出入りは無い。
少し奥まった所にある木製ベンチに並んで腰掛ける。
ここは人目につきにくい場所らしく、多くのカップルが逢瀬に使うと誰かが言っていた。
今日の所は申し訳ないが自分達が占領させてもらった。
「…国光」
「リョーマ」
隙間無く寄り添って座ると、手塚がリョーマの肩を抱き締め自分の胸へと引き寄せる。
「国光、キスして…」
誘うように少しだけ顎を上げ、瞳を閉じれば、すぐに柔らかく温かな感触が降りてきた。
キスはいつでも気持ちが良い。
「リョーマ…」
ゆっくり離せば、濡れた唇が艶かしく瞳に映る。
もっと先を求めてしまいそうになる。
「国光?」
「あぁ、すまない」
「…変なの」
手塚が求めているのに気が付くが、明日は学校がある。悪いが気付かない振りをした。
「ね、どうだった。山に登って?」
「山か?」
「うん、久しぶりだったんでしょ?」
楽しかった?と訊いてみる。
「そうだな、景色も良かったし、空気も良かった」
「うん、うん」
「…が、気になってそれどころじゃなかった」
「え?何が?」
「お前が何をしているのか、誰かと一緒にいるのではないのかと、気になって仕方が無かった」
結局、山に登っても考えるのはリョーマの事だけ。
父親は息子と山登りをして満足していたが、肝心の息子は父より山より恋人。
「そ…なんだ」
「ああ、やはり俺はリョーマと共に過ごせば良かった」
久しぶりの父と息子2人きりの登山は、何となく無駄に終わったようだ。
普段の精神的な疲れを大自然によって癒してもらうのに、癒されるどころか、反対に疲れただけだった。
ストレスと感じるほどに。
こんな事ならはっきり断って、リョーマと過ごしていた方が良かったかもしれない。
「…リョーマは何をしていたんだ?」
自分がいなかった間、愛する恋人が何をしていたのかが気になる。
妄想通り、誰かと一緒だったらどれだけ悔やんでも、悔やみ切れない。
「俺?俺はね…思い出してた」
「何をだ?」
「今までの事、国光との出会いとか、初めての……とかいろいろとね」
独りになるのは、本当に久しぶりだった。
いつも一緒にいてくれていたから、独りの時は今まで何をしていたのか考えてしまうほどに。
でも、付き合った当時や、いろいろと初めての出来事を思い出していたら、時間は直ぐに過ぎて行った。
思い出している間はとても充実していた。
楽しくて楽しくて仕方が無かった。
「そうか、お前も俺の事を考えていてくれていた、と思っても良いのか?」
「うん、もちろん」
実際に、手塚の事ばかりを考えていたのだから。
「ありがとう」
「お礼なんて言わないでよ」
照れ臭くなるから、とリョーマは小さく笑いながら手塚の胸に顔を埋めた。
こうして1時間ほど公園で会話をし、熱い抱擁を何度も交わすと、2人はそれぞれの家に帰って行った。
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